独男の雑記帳

60代コミュ障独身男(結婚歴なし)の存在していた記録

出来事 2019年10月

10月9日(水) 吉野彰氏ノーベル化学賞受賞

明るく物腰柔らかなお人柄に心打たれる。

 

10月12日(土) 大型で非常に強い台風19号が東日本襲来

横浜の一人住まいのアパートと名古屋の空き家の実家のどちらに居るべきかと迷ったのも、食料飲料を確保しLEDライトなども手元に用意したのも、初めてだった。幸いにして名古屋の風雨はそれほどではなく、横浜も自分の周囲は特に被害はなかった。

 

10月13日(日) ラグビーW杯 日本はスコットランドを破り初の決勝トーナメント進出(ベスト8)

ひとりテレビ観戦。勝った。感涙。

私たちつまり今50代より上の世代は、昭和のラグビーブームをよく知っている。今W杯を解説している人たちが活躍していた頃をよく知っている。あの頃ラグビーは人気だった。大学対抗を、社会人対抗を、日本選手権をテレビであるいは競技場でみんな観た。しかし世界には歯が立たなかった。その後人気は低迷した。宿沢、上田、平尾という日本を率いたラガーマンが若くして逝った。4年前のW杯で南アフリカに勝利した。日本のラグビーにまた注目が集まった。しかしベスト8進出はできなかった。今回、アイルランド、フィジースコットランドに勝利。実力を証明した。そしてベスト8進出。長い道だったが、ついに突破した。本当にすばらしい。今のラグビーは見てておもしろい。日本人も体ががっちりして当たり負けしない。そしてプレーにキレとスピートがある。次の南ア戦も撃破を。

 

ブログの更新がよく滞りますが、こんな具合に、世間を騒がせる出来事に心を動かされながらどうにか過ごしております。

 

59歳

先月59歳になった。こっそりとブログ・サブタイトルを「コミュ障59歳独身男(結婚歴なし)の存在していた記録」に直しておいた。

ひとりで居ると年を取る感覚がない。人は人と交流して成長していく。交流がないと子供のままだ。ひとりは苦しい。でも長年ずっとそうだから変わりがない。体も年を取る。ただ急に目立って動けなくなっているわけではない。幸い大病も患っていない。だから老いている感覚が乏しい。

しかし来年は60歳だ。還暦、干支が一巡してまたスタート位置に戻るらしい。1つの生が終わるのだ。大袈裟だが、何事も引き延ばして何も実行しない癖のある私にとっては、一度終わって再スタートというのはよい考えだ。意識的に満60歳誕生日が1つの区切りだという考えを採用している。なんだか1、2年前から自分の人生は2020年で一度終わるという緊張感がある。

自分の生まれ変わりはさておいても、50代と60代の違いは大きい。60代、押しも押されぬじじいである。今でこそ年金受取りは65歳から、またいろいろなシニアサービスも65歳からのものが多いが、60歳以上対象のものもある。そういう年齢なのだ。

何も為さず人との交わりも乏しく年老いるのは悲しい。50代のうちにやっておきたいことがまだまだある。今の1日1日を大切にしていきたい。

 

ボリスとドナルドの英語講座

前記事で引用したボリス・ジョンソン英首相とドナルド・トランプ米大統領の会話切り取り動画

www.bbc.com

 

この中の we're not counting our chickens 「捕らぬタヌキの皮算用をしない」については前記事に書いた。

hidsgo.hatenablog.com

 

 

2人の会話の1分半ほどの短い動画には、この他にも勉強になる英語表現が詰まっている。

 

(1) come

but I think he's gonna make great progress come October, come November

トランプ「10月、11月になったらボリスは大いに前進するだろう」

 

come October という場合の come。「(時が)来ると」という意味だ。こちらの英和では 2a に用例が挙がっている。

comeの意味 - goo辞書 英和和英

仮定法現在と説明されることが多いが、前置詞としている辞典もある。

Come | Definition of Come by Lexico

学習者として大切なことは文法上の解釈よりもこのような用法があると知っておくこと。私自身は come のこの用法を見たのは初めてではないが前は文章で見たように思う。話し言葉でしかも大統領のような有名人が普通に使っているのを聞いて、なるほどこうやって使われるんだと納得した次第。

 

(2) another day

Trump: It's just another day in the office.

Johnson: It's tomorrow is another day in Paliament, that's what he meant.

トランプ「官邸はいつもと変わらぬ日だよ」

ジョンソン「国会では明日はよくなると彼は言ってるんだ」

 

It's just another day in the office. この場合の just another day は、いつもと変わらぬ日、の意味。just another で辞書にも載っている。

just anotherの意味 - goo辞書 英和和英

 

トランプ大統領の just another day を受けてジョンソン首相は、 another day を含む別の表現を持ち出す。Tomorrow is another day. 明日は別の日、(今日は悪かったが) 明日はきっとよくなる、明日は明日の風が吹く、という意味で用いられる表現だ。

しかも単に同じ言葉の別表現を持ち出すというだけでなく、トランプ大統領の just another day in the office を受けて、in Parliament (劣勢かつ最高裁からも自分の運営が否定された) 国会では tomorrow is another day 明日はよくなる、と自分の実際の状況に合わせて使っている。

さすが弁が立つボリス・ジョンソン、笑いを誘ううまい返しである。(首相としての力量はわからず、弁「は」立つ、と言っておくのがよいかもしれない。)

 

(3) 0-for-seven 

we were 0-for-seven with the Supreme Court.

トランプ「我々は最高裁で7戦0勝だった」

0-for-seven は、7のうちゼロ、つまり7戦0勝、7連敗ということ。

注意したいのは zero-for-seven と書いているが、トランプ大統領が話しているように、 0 (zero) はアルファベットの O (オゥ) のように読む。

Cf. https://www.italki.com/question/435469

in US English we usually read "0 for 7" as "oh for seven," not "zero for seven." In US English it is very common to read the digit 0, zero, as if it were the letter O, oh.

 

(4) run the table

since then we've almost run the table, we've won a lot of decisions,

トランプ「それ以来我々はほとんど勝っている。たくさん勝訴してきた。」

run the table はスポーツである期間全勝することを意味する。またこのトランプ氏の発言のようにスポーツ以外でも、負け知らずの意味で使われる。

元々はビリヤードで相手に手番を渡すことなく、ブレークからすべてのボールをポケットに入れることに由来している。

Glossary of cue sports terms - Wikipedia

トランプ氏は run the table という表現をよく口にするのかもしれない。選挙関連で、すべての選挙に勝つという意味で使っている記事がいくつか見つかる。

Donald Trump says he wants to 'run the table' and win primaries in EVERY early state | Daily Mail Online

 

以上、短い動画の中に勉強になる表現が満載だった。

 

捕らぬタヌキの皮算用 count your chickens

今週ニュースサイト (読売新聞) に次のような見出しの記事が載った。

トランプ氏に励まされても…英首相「捕らぬタヌキの皮算用しない」
https://www.yomiuri.co.jp/world/20190925-OYT1T50195/
(記事はもうすぐ消えるだろう)

 

英国ジョンソン首相が決めた10月中旬までの議会閉会について、英国最高裁は違法で無効という判決を出した。ニューヨークでジョンソン氏と会談した米国トランプ大統領は、「私は最初は裁判で負けが続いたがやがて勝訴するようになった。あなた (ジョンソン氏) もそうなるだろう」とジョンソン氏を励ました。その励ましに対しジョンソン氏が「捕らぬタヌキの皮算用はしない。裁判所の判断は尊重する」と答えたというものだ。

 

この記事というか見出しを見てすぐに思った。「捕らぬタヌキの皮算用」って英語では何て言ったの? (Brexitはどうなるのかとかボリス・ジョンソンは首相としてどうなのかよりもそこが気になる...)

 

BBCサイトを見てみると該当する会話の動画がすぐに見つかった。有難いことにテキスト付きだ。

www.bbc.com

 

捕らぬタヌキの皮算用はしない、はこの動画の1分16秒に現れる。

 

"we are not counting our chickens"

 

この表現は英語の以下の諺に由来する。
Don't count your chickens before they are hatched.
卵がかえる前にニワトリの数を数えるな

英和辞典にも載っている。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/en/chicken/#ej-15242

hatchには「卵をかえす」という他動詞と「卵がかえる」の自動詞の両方の用法があるため、他動詞受動態 の they are hatched ではなく自動詞 they hatch として

Don't count your chickens before they hatch.

とも言う。
https://dictionary.cambridge.org/ja/dictionary/english/don-t-count-your-chickens-before-they-hatch

 

卵が全部ちゃんと孵化するかもわからないうちからニワトリが何羽得られるか勘定するな。捕らぬタヌキの皮算用をするなと、ぴったり意味が一致しますね。

 

よく知られている諺であるため、英語では before they are hatched が省略され count one's chickens だけで「都合のよい勘定をする」という意味で使われることも多いようだ。

ジョンソン氏の発言も全部書けば以下のようになっている。

"Well, we're not counting our chickens and we're full of respect, as I say, to the justices of our Supreme Court."

(トランプ氏は自分が指名した最高裁判事が就任してからは勝訴するようになったが) 我々は先の都合のよいことは考えず、最高裁の判断を最大限尊重する

 

not counting our chickens だけで「捕らぬタヌキの皮算用はしない」の意味として使用している。ただし日本語では「捕らぬ」を付けるのが一般的なので、訳すときは「捕らぬ」を付けたほうがいいですね。

 

ということで、英語のよくある言い回しを訳した日本語記事の見出しから、英語表現を1つ覚えました!

 

oligarch, monarch

【今日の英語】 oligarch, monarch

oligarch は現代ロシア情勢の文脈では「ロシアの新興財閥」を指す (辞書 2)。

もともと oligarch には「寡頭政治における支配者」という意味がある (辞書 1)。oligarchy なら「寡頭政治体制」。寡頭、つまり単独や多数ではなく、少数が支配する政治体制。その単語が、ソ連崩壊後自由経済となったロシア経済を牛耳るいくつかの財閥に対し、使用されている。

なお英語の発音は /ˈɒlɪɡɑːk/、あえてカタカナで書けば「オリガーク」だが、日本語ではロシア語由来の「オリガルヒ」が多く使用されているようだ。
オリガルヒ - Wikipedia

 

oligarch、一見変わった綴りの単語に見えるが、語源を探ると簡単な成り立ちで、他のよく知られている単語と関連することがわかる。

oligarch はギリシア語由来で、 olig- が「数個の」を意味し、-archが「支配する」を意味する (辞書 Origin)

「数個の」という意味のギリシア語の数の接頭詞 olig- または oligo- は、「オリゴ糖」として日本語でもよく知られている。オリゴ糖は単糖が「数個」結合した糖のことだ。

オリゴが出てきたなら、1、2、3に対応するギリシア語の数の接頭詞、mono-、di-、tri- がすぐに連想される。mono- と -arch を組み合わせれば、monarch 君主、その政治体制は monarchy 君主制、よく知られている単語だ。

monarchy は1人による支配体制、oligarchy は数人による支配体制。それでは2人、3人による支配、diarchy、triarchy という単語はあるのだろうか。検索してみると政治学では普通に使われている用語のようで、二頭政治、三頭政治という日本語とともに存在する。ギリシア語の数の接頭詞で「多数の」は poly- だが、polyarchy 多頭政治という語も存在する。

 

というわけで、oligarch という語をぱっと見たときには変わった綴りをした単語にしか見えなかったが、olig + arch で前者が数の接頭詞、後者が「支配」という意味とわかり納得し、その関連で monarch は mono + arch でそれで君主なんだと、monarch の由来が今さらながらわかったいう次第。

 

結婚してる「コミュ障」はオキシモロンか

「私はコミュ障なので」とよく聞く。多くの人が言う。もちろん私たちは万能ではない。初対面の人とすぐに仲良くなり、パーティを盛り上げ、仕事では営業成績を上げ、トラブルが起きれば交渉で解決、などと誰しも簡単に他人と渡り合えるわけではない。どこかで苦手な場面がある。苦手な相手がいる。実際にトラブルを抱えている。そんな状況を意識して「私はコミュ障なので」と言うのはよくわかる。

それは承知しているが、結婚してる人あるいはパートナーが居る人が自身を「コミュ障」と呼ぶのには、私は軽く違和感を覚える。

他人と出会い、つき合い始め、さまざまな経緯を経て一緒に人生を過ごすことに同意を求め、受け入れられる。このコミュニケーションにおける燦然と輝く偉業を達成していながら「コミュ障」はなかろうと。

いやもちろん、そんなに単純じゃなくて、共同生活を始めてからの方がコミュニケーション力はされるのだろうし、苦労も絶えず、うまくいかない自分を「コミュ障」と呼ぶ場合もあろう。

そうではあっても、私のようにその地点 (2人一緒地点) にまで到達できない者からすると、相手が居る人が自身をコミュ障と呼ぶのには、ふと違和感を覚えることが多いのだ。その先の世界を生きたかった、しかし壁は大きかった。それゆえの感覚だろう。そんな独り言をこっそり記録しておく。

 

バイクで転倒したけど声をかけられなかった

バイクで転倒してしまった。いつも乗っている400ccのバイクを車検に出し、代車の原付に乗って帰る途中。車一台通れるかどうかの狭い急な坂道を慣れない原付でそろそろ降りていくと、向こうから自転車を押して登って来る女の人が見えた。少し左に寄せようとしたときに雨で濡れた路面で滑り、右側へ転倒した。

右ひざを道路に擦り、右手、右ひじも軽く打った。バイクは右のバックミラーが曲がった。原付とはいえ初めて乗るときはアクセルやブレーキ、車体の感覚など慣れない。バランスを崩したところに濡れた路面で滑ってしまった。慣れないためにスピードを出していなかったのは幸いだった。

右ひざはズボンが破れ擦りむいている。右手もちょっと痛い。でも普通に動く。体は大丈夫そうだ。そう思いつつよろよろと立ち上がり、バイクを起こし左に寄せた。

するとそれまで私の3メートル先くらいで自転車を手にして立っていた女の人は、自転車を押して私の横を黙って通り過ぎ、さらに坂を登って行った。

 

「あれ?」っと思った。自分の怪我やバイクの心配よりも、違和感に包まれた。目の前で人が転倒したら、「大丈夫ですか」と声をかけないだろうか。「大丈夫ですか?」「大丈夫です、ありがとうございます。」こうなる状況を心のどこかで想定していた。

救護義務を言ってるのではない。そもそも今回の転倒は相手に接触したわけではない。数メートル先の相手を見て少し左に寄ろうとした私の立ちゴケと言ってよく、相手に責任があるわけではない。でも黙って通り過ぎて行かれたときは、違和感というか不思議な感覚に包まれるのを感じざるを得なかった。

 

しかし帰宅してひとしきり落ち着いてから考えてみて、あんなものかなとも思い直した。女の人、暗くて顔はよく見えず、また私も動転していて相手をそんなに注意して見なかったのでよくわからないが、20代半ばの若い女の人だったろうか、あの人は私を無視しようとしたわけではない。無視しようあるいは関わらないようにしようと思えば、私が倒れている間に横をすり抜けて坂を登っていくことは出来た。そうはせず、あの人は私が立ち上がりバイクを起こすまで、自転車を手にしてじっと待っていた。おそらく、私は大丈夫そうだということを確かめて、進んで行ったのだ。もし私が倒れたままだったら、その時は、声をかける、手を貸す、救急車を呼ぶなどの措置を取ったのではないかと思われる。

確かに声かけは難しい。相手にかえって迷惑に思われる場合もあり、それを恐れて声かけしにくい人も多いだろう。また女性の場合、相手が得体の知れない男性であればなおさらだ。ましてや私は60手前の未婚男性、ヘルメットはかぶったままで隠れていたが頭も薄いし、警戒は当たり前かも (突然の自虐ネタ)。

 

そんなこんなで、むやみな声かけはしない、でも相手が大丈夫かどうかを観察し、大丈夫とわかったから立ち去る。あの人は賢明な判断をしたのかもしれない、むしろそう思えてきたのだった。

 

でもまあ私は、コミュ障を自称するとはいえ、目の前で人が転倒して他に誰も世話する人がいなければ、「大丈夫ですか?」と声をかけると思う。コミュ障の私が言うのは全くおかしいのだが、声をかけ合うのは悪いことではない。