独男の雑記帳

60代コミュ障独身男(結婚歴なし)の存在していた記録

朝日新聞は嫌いです

朝日新聞が叩かれている。慰安婦報道や福島第一原発の吉田調書報道によるものだ。私は今ほどの騒ぎになるずっと前から朝日新聞は嫌いだった。でもこれは朝日への批判というより、批判力などまるでなかった私の全く勝手な傷つき経験によるものだが。

私の家ではずっと朝日新聞をとっていた。私は小学生の頃から新聞に目を通す子供だった。面白いからとか時事問題に関心があるからではなく、身の回りにある置いてある新聞や雑誌に適当に目を通す子供でもの知りタイプだった。

中学3年から高校にかけて、ちなみに私の中学3年は1975年だが、朝日に「いま学校で」という記事が連載された。タイトルから教育現場のさまざまな問題をレポートする内容であったと思うが、具体的にどのようなことが取り上げられていたかは忘れてしまったが。校内暴力や家庭内暴力、無気力学生などは話題に含まれていたかもしれない。また、「今の若者は本を読まない、考えない、想像力がない」などということも書かれていたのかもしれない。

具体的内容は忘れたが、私はその連載を読んでひどく傷ついたのだった。今の若者は、ということで語られる内容をすべて自分にあてはめて捕らえていたふしがある。もっとも私は成績は良くていわゆる優等生タイプだったので、記事で問題にされていた内容の対象になる生徒ではなかっただろうと思う。しかし当時は記事を読んで私は傷つき、自分はこうだから駄目なんだと考えることとなった。

そう捕らえてしまう背景としては、中3の終わり頃に高校受験の勉強量が増し、受験がどうなるか心配で目の下に隈ができるほどになっており(もっとも私の中学の成績からするとそれほど勉強せず普通にしてれば合格できたはずだが)、神経が磨耗した状態で、また思春期で感受性が増し自省することも多くなったということもあったろう。

優等生タイプだから関係ないはずと言っても、関係ないはずだが自分のことのように思って傷ついてしまうということころがまさしく批判力のない優等生タイプにありがちなことという見方もできよう。

ともかく、自分は今のままでは駄目なんだと徹底して思わされることになったのだった。

この朝日の経験がすべてではないが、今に続く妄想とも言えるほどの自虐思考や自己過小評価というのはこのころ形成されたものだ。のちになって私はよく、もし家が朝日新聞をとってなかったら私の人生は違ったものになっていたかもしれない、と思ったものだ。

ただ、当時は単に傷つくだけで、朝日を嫌いになるのは、のちに距離を置いて朝日を見るようになってからだったと思う。朝日って、正義を標榜して、他人や他組織が犯した、朝日が考えるところの誤りを記事にして容赦なく糾弾する。一方で朝日が考えるところの弱者の人たちの話は美談に仕立てる。そして自分たちの過ちには甘い、そんなところがあると、いつしか気づき、理解できるようになった。いわゆるKY事件のサンゴ礁事件が起こったときは、いかにも朝日らしいと思った。日本を貶めるような記事というのも気づくようになった。

朝日新聞は嫌いです。