独男の雑記帳

60代コミュ障独身男(結婚歴なし)の存在していた記録

友達はまだ多くない

ブログトップに表示されるプロフィール、前は「54歳独身男(結婚暦なし)、友達なし、の存在していた記録」だったが、そこから「友達なし」を削除した。暫定的に。友達がすごく少ないのは変わりないが。でも「なし」と言ってしまうと、時々メールのやりとりをするくらいの人はいるから、多分事実と違うだろうし、私が友達という感覚を持てなくても向こうで友達と思っているケースもないわけではないだろう。それに「友達なし」と最初から書いていては、突っぱねた冷たい印象を与えるだろう。それは本意ではないから。

むしろいつも友人を得たいと努めたつもりだが、結局孤独の人生だった。

友達を得たいということばかりを考えている人には、友達は出来にくいのではないかな。いつも他人の思惑を気にしている人と友達になりたい人はいないのではないだろうか。むしろ自分が夢中になれる何かを持っている人、そういう人と人は知り合いになりたいと思うのではないか。自分の世界を持ち、その世界を持つ自分を受け入れて、そして他人の世界も認められる。そういう人は、大人だな。そうなりたっかたが、なれなかった。

「人を見るな、物を見よ。」ゲーテの言葉だったような。高校のとき聞いた言葉だが、人にばかり気を奪われてきた。

友達いない、という人は多いようだけど、実際には学校とか職場とかで一緒にちょっと話たりする人はいる(いた)んじゃないかな。なぜ友達と呼ばないのかな。人により事情は異なるだろうから私の場合を分析すると、誰かと一緒にいるときに、同じ時と場所を共有している感覚が薄いのかもしれないと思う。ひとりの人と人として同じ場所で同じ時を過ごしている、お互い欠点だらけの人間だけど、今一緒にいる。そういう共有感覚に欠けていたのかもそれない。では他人といるとき何を考えているかと言うと、自分が一緒にいると相手に迷惑をかけているといつも考えている。自分は劣っている奴と周りから見られてると自分では思っている。こんな自分と一緒にいて相手も困っているだろう思っている。妄信的な自虐思考の世界に居ては友達という共有感覚は持てない。女の子とやっとデートになっても、相手に迷惑をかけているんじゃないかと思っていたら、建設的な関係には発展しない。

自分の世界を持ち大人になりたかったね。誰かとつき合いたかったね。

どうしても、うまくいかなかったね。

今日はここまで。