独男の雑記帳

60代コミュ障独身男(結婚歴なし)の存在していた記録

自己顕示欲は人としての自然な欲求のはずなのに

自己顕示欲を否定してきた。自分の言動の底に自己顕示欲を認めると、つまり目立ちたい、他人に褒められたい、他人に認められたい、そういう心の動きをかすかでも察知すると、しゃべらなくなり、行動を起こさなくなっていた。

中学3年のとき生徒会長というのをやった。立候補して対立候補を破り当選した。高校時代、この事をひどく後悔し自分を責めた。生徒会長って、学校と生徒についてよく考え、生徒の悩みを理解し、生徒の意見を主張できる人が普通やるだろ。自分はそんな生徒じゃなかった、ただ「生徒会新聞」というのを発行してみたかった、そんな薄っぺらな奴が生徒会長なんかやって、すまなかった。そんなことを考え自分を責め続けた。

その他にもそれまでの(15,6歳までの)行動で、相手のことや状況もわかっておらず自分の単に目立ちたいだけと思われる行動を思い出し、他にもいろいろ要因はあったろうが、自己顕示欲を認めないようになった。仲間で話し合っているとき、自分がその話題について何か知っていることがある、でもそれを口にするのは、自分がそれを知っていることをひけらかしたいだけではないか、そう分析すると、じゃべらない。もし口にしていれば、他の人にも有益だったかもしれない。そして私はそんなことを知っているのかと認められたかもしれない。或いはおもしろい奴だと思われたかもしれないのに。でもこの「知っているのかと認められる」「おもしろい奴だと思われる」ことを動機に認めると発言しなくなった。

ではどんなときに話すのを許したのか? 伝える必要のある要件とか。

他人からよく思われたいから言動を起こすのは、実のない、いやらしい動機とみなされた。口にしないことが私の内に溢れ堆積していった。苦しかった。

苦しいはずである。人には自己顕示欲という欲求が備わっている。他人に認められたい、よく思われたいというのは人としての自然な欲求なのだ。それを否定しているのだから、苦しいわけだ。

ブログを書かなかったのも同じ理由だ。なぜ自分がこの事を書きたいのかと問えば、単に自分が経験したことや知ったことを他人に見せたいだけではないか、となり、書けなかった。

物言わぬ苦しさ、言わないため他人に認められない苦しさ。

もともと私は自己顕示欲は強いと思う。その欲を敏感に察知し、否定して生きてしまった。