全力ひとり

全力で心豊かに温かく孤独を生きる独身男(50代バツなし)の記録

ヨーロッパ便でトイレに行かなかった思い出

前記事の空港の記事の中でこんなことを書いた。

 私は人に話しかけるときは自分が話しかけることが相手の迷惑にならないか百万回くらい逡巡しますから、

ヒースロー空港の思い出 ~ WAY OUT - hidsgo’s diary

なかなか自分をよく表していると実は思っている。

同じ流れで、つまり空港・飛行機関連のコミュ障みたいなネタということで、飛行機でのある思い出を記しておく。ヨーロッパで飛行機に乗ってから日本に着くまでの12時間、トイレに行かなかったという話。

 

やはりいつのことか正確に覚えていないが、10年くらい前、この時はパリのシャルル・ドゴール空港から成田への便だったと思う。私は3人掛け席の窓側席で、通路側と真ん中は20代後半くらいの日本人女性の2人連れだった。窓側席の人がトイレに行くには、2人に声をかけ通路を空けてもらわないといけない。私は隣の女性に声をかけることなく、ヨーロッパから東京までの12時間、トイレに一度も行かなかった。

これがコミュ障だから人に声をかけられずトイレを我慢していた、という話なら、立派なコミュ障ネタだろうが、実際は必ずしもそういうわけではない。

まず、我慢していたわけではない。トイレに行く必要に迫られなかったから行かなかったわけだ。しかし、もし私が通路側だったら、どこかで一度トイレに立っただろうと思う。その時もそう思っていた。軽い尿意を感ずることはあったろうし、また座席に長い間座り続けているのは足も疲れる。立って歩くのは足の負担を軽くし(エコノミー症候群予防)気分転換にもなる。

隣の人に声が掛けられなかったわけでもない。普段でも私はほとんど人と話をしない。しかし人に話しかけることが全然できないとか、全くの引き篭もりというわけではない。プレゼンなど、実は人前で話すことも平気だったりするし、嫌いじゃなかったりさえする。

そうは言っても、人に声をかけるのには私にはエネルギーが要ることだった。トイレの必要に迫られることのない状況で、敢えて隣の人にちょっと「すみません」と声をかけるというエネルギー・バリア(障壁)を越えるよりは、席に留まって12時間過ごす方が楽に感じられたとうわけだ。

乗り物に12時間トイレなしというのは、別に珍しいことではないかもしれない。でも自分はヨーロッパ便でトイレに一度も行かなかったのはこの時だけだった思う。以下のことと共によく覚えている。

 

この件で一番印象に残っているのは、実は隣にいた女性のコミュ力(コミュか、じゃなくて、コミュりょく)だった。コミュ力とか大袈裟に言うほどでもないかもしれないが。

窓側席に、トイレに立たずに何時間も静かにじっとしている人がいるわけで、普通気になる。出発して何時間か経った頃、私はうつむき加減で雑誌か何か見ていた時だったろう、隣の女性が私の顔の前に自分の顔を差し出して、私に言った。「トイレに行きたかったら遠慮なく声をかけてくださいね。」私の横から言ったのでなく、うつむき加減の私の顔の下に自分の顔を差し入れて、言ってみれば強引に視線を合わせて、私の目を見上げてそう言ったのだった。それがとても印象に残っている。普段煙たがられ疎んじられて、他人からは嫌われていると自然に思っていた自分にとって、あんなふうに話しかける人がいるということが新鮮だった。そうやって言われたことが、ちょっと嬉しくもあったと思う。

これに先立ち、搭乗時のことだが、この女性の席に最初に外人男性が身を落ち着けた。しばらくして女性2人がやってきたが、その女性が外人男性と話し、結局男性がチケットを見間違えていたことが判明、男性は移動した。うまい英語というわけではなかったが、男性も女性もニコニコ話し、最後に男性が移動するときは女性は笑いながら「バイバイ」と見送った。うまくコミュニケーションが取れていて、その様子を見ながら、「英語力」と「コミュ力」は全く別物だと、いつも思うことをそのときも思ったのだった。

 

というわけで、私はトイレに立つことも誰かと話すこともなかったというコミュ障っぽい振る舞いをしながら12時間かけてヨーロッパから日本へ移動したが、その横にはちゃんとコミュニケーションが取れる人がいたという話。

 

さて、トイレに立つのに隣の人に声をかけることが出来るから本当のコミュ障じゃなくて「コミュ障みたいな」と書いてきたのだが、では隣の人と軽く会話が出来るのかというと、それは出来ないだろう。「ご旅行ですか?」「どちらへ?」などと声をかけることはしないだろう。その人は、変な人から声をかけられたため席を移動するかもしれない、と思うから。だからやはりコミュ障だし、独身なわけだし、大人になれず一生を終えるだろう…そうなのか?