2018年ワールドカップ(W杯)ロシア大会で世界中が盛り上がっている。それぞれの試合にドラマがある。代表チームの運命が決まり、勝利に貢献した選手は称えられ、失敗した選手には厳しい目が向けられる。そのドラマは毎試合、実際は各地域の予選から繰り広げられている。
2001年英国。1本のシュートがイングランドのW杯出場を決定し、ベッカムの運命を変えた。年数も経過しもう語り尽くされているが、ベッカムの伝説のフリーキックについて、簡単に経緯をおさらいしたい。
1. ベッカム
デビッド・ベッカム(David Beckham)は、マンチェスター・ユナイテッド (Manchester United、以下マンU) から1995年4月にプレミアリーグ デビューした。彼の名は2年目の1本のシュートにより、サッカーファンのみならず全英国民に知れ渡ることとなった。1996年8月プレミアリーグ開幕戦。相手チーム・ウィンブルドンのゴールキーパーが前へ出て来ていることを見逃さなかったベッカムは、センターラインからキーパーの頭を越えてゴールを決めたのだった。
ベッカムのスター街道驀進開始を告げるとも言える、センセーショナルなゴールだった。
2. 1998年6月30日 ~ 試練
ベッカムとマンUの快進撃は続いたが、ベッカムには大きな試練が訪れる。1998年W杯フランス大会決勝トーナメント初戦、アルゼンチン戦。ファールで倒されたベッカムは、倒れたまま相手選手の足を蹴り返し、レッドカードを受け退場した。試合は引き分け、PK戦の末イングランドは敗退した。ベッカムは戦犯と見なされ、サポーター、メディアを始め、英国民から猛烈な非難を受けることになった。
ベッカムのプレーヤーとしての活躍は続き、1999年にはマンUのプレミアリーグ、FAカップ、UEFAチャンピオンズリーグの3冠に貢献。また私生活でも同年スパイス・ガールズ(Spice Girls)のヴィクトリア・アダムス(Posh Spice)と結婚した。
しかしベッカムに対する反発は根強く続く。2000年UEFA欧州選手権(EURO2000)でイングランドが敗退した際、サポーターからブーイングを浴びせられたベッカムは中指を立て、ベッカムへの非難は極まった。
3. 2001年10月6日 ~ 英雄
2002年W杯日韓大会欧州予選、グループ9最終戦。イングランドはギリシャとマンUの本拠地オールド・トラフォード(Old Trafford)で対戦した。イングランドは勝ちまたは引き分けで翌年のW杯出場が決定する(*)。
しかし試合はギリシャが先行、イングランドが同点に追いついた直後また点を入れられるという苦しい展開。1-2のまま4分のアディショナルタイムへ。アディッショナルタイム2分半が経過した時、イングランドはフリーキックを獲得した。ゴールまでの距離30ヤード。キッカーは前年からイングランド代表キャプテンを任せられているベッカム。
ベッカム伝説のフリーキック。2001年10月6日オールド・トラフォード。
ベッカムの右足により蹴り出されたボールは、きれいな弧を描きゴール上隅に突き刺さった。このゴールによりイングランドのW杯出場が決定した。そしてこのゴールにより、ベッカムへの非難は賞賛へと変わった。掌返しなんてものではない。天と地が入れ替わるかの如く、ベッカムは非難の標的から英雄へと変わった。
4. その後
自らのフリーキックによりW杯出場を獲得したものの、ベッカムは2002年2月、UEFAチャンピオンズリーグで左足第二中足骨(metatarsal)を骨折。なんとか治療してW杯日韓大会出場を果たす。札幌での予選リーグのアルゼンチン戦でPKを決め1-0で勝利、4年前のリベンジを果たした。
あの1本のフリーキックが、イングランドチームとベッカムの運命を変えたのだった。
* 正確には、グループ内でイングランドとドイツが勝ち点で並び、得失点差でイングランド首位。首位ならW杯出場決定、2位なら別グループ2位のウクライナとプレーオフ2試合を行う。イングランドーギリシャ戦と並行してドイツーフィンランド戦が行われたが、0-0の引き分けだった。したがってイングランドは引き分け以上でW杯出場となった。ドイツ戦の結果は、イングランドがアディショナルタイムに入った頃わかったようだ。
【主な参考記事】
・David Beckham – Wikipedia
・David Beckham's most memorable moments - BBC Sport
・BBC SPORT | WORLD CUP 2002 | England reach World Cup finals
・2002 FIFA World Cup qualification – UEFA Group 9 - Wikipedia
・こちらの日本語サッカー記事サイトに、このフリーキックの同様の紹介記事があります。
https://qoly.jp/2015/10/07/david-beckham-freekick-vs-greece-2001
この伝説のフリーキックに至る経緯は、私がかつての英国滞在を通じてよく知っており、いつか記事にしたいと思っていた内容で、今回の記事は自分が織り込みたい内容を入れて独自にまとめたものです。