独男の雑記帳

60代コミュ障独身男(結婚歴なし)の存在していた記録

小学生時代のコミュ障の思い出

コミュ障の思い出などというタイトルをつけてしまったが、小学生時代に「ぼっち」で苦しんだとか、言いたいことが伝えられず困ったとかいう話ではない。今の自分のコミュ障ぶりに思いを馳せるとき、よく思い出される小学校時代の3つのエピソードがあり、それを記録しておきたい。

 

(1) 放課後の教室で1人の女の子が泣いていた。小学4年生の時、教室には5、6人が残っていた。その子がなぜ泣いていたのか、その時も事情はわからなかった。そばにいた女の子が私に向かって「(私)くんは学級委員なんだから、慰めてやりなさいよ。」と言った。それを聞いた私は、ああ、俺ってこういうの苦手なんだなあ、何て言っていいかわかんないよ、と思った。

泣いている子に結局何と言ったのか、その後どうなった、覚えていない。おそらく適当なありきたりなことを言っただけだったはずだ。そんなことしか言えないから。

小学生では人の世話を上手に出来ないかもしれない。それでも他の子と比べて私は、人を世話したり慰めたり元気づけたり一緒に楽しんだり、そういうことがうまく出来ないという意識はあった。そのため「慰めてあげなさいよ」と言われた時、苦手だなあと痛切に思った、そのことをよく覚えている。今も人を目の前にして声をかけるのが苦手だが、そんなときいつも思い出される光景なのだ。

 

(2) 小学校2年生のときに担任の先生が通信簿に書いたコメント。「いろいろ知識があって、話すこともなかなか論理的。でももうちょっと楽しくお話ができたらなあと思います。」担任のH先生は私の本質を把握されていた。

この性質は今も変わらない。もうちょっと楽しくお話ができたらなあ。もうちょっと楽しいブログ記事が書けたらなあ。

 

(3) 近所の人とのお話を終えた母親に私は聞いた。「どうしていつも天気の話をしているの?」

大人はスモールトークを楽しみ、場の雰囲気を和ませ会話をふくらませて相手との親しさを深める。子供はスモールトークをしない。とはいえ、大人の事情もわからずこんなストレートな質問をした私は、今もスモールトークが出来ない。つまり大人になれなかった。

 

3つのエピソード。相手を思いやる言葉をかけてあげることが出来ず、面白い話もスモールトークも出来ない。今の自分の会話下手の原型は小学生のときにすでにあったと、よく思い起こされるエピソードなのだ。