独男の雑記帳

60代コミュ障独身男(結婚歴なし)の存在していた記録

相手の立場で考える

高校1年のとき担任の先生が生徒をよく知ろうとアンケート用紙を配ったことがあり、その中に「悩みごとや困っていることあれば書いてください」みたいな項目があった。

私は「人との受け答えがうまくできない」と書いた。

相手の言ったことに対し相手が望むことやその場の状況に一番合ったことを言うことができない、つい相手が傷つくことを言ったり単に自分をよく見せたいだけのことを言ってしまう、そう思っていた。それまでの自分の言動を振り返り自己嫌悪に陥っていた。(当時の私の勝手な思い込みであったろうが。)

今の若者は考える力がない、相手の立場になって考えることができない、想像力がないなど ― 今も昔もよく言われることだがそういう言葉にも刺激され、自分は考える力が足りないと考え、考える訓練をいろいろやった。

あまりしゃべらなくなった。何か口に出す前に自分の内であれこれ考える、吟味する。ある状況である人が言った言葉に対しどう応ずるのが最も適切か突き詰めて考える、そんなことが習慣化した。そして何かをしゃべると、今のはよくなかったという思いに苛まれる。だんだんと、しゃべらないのが普通になった。頭の中で思うだけで言葉を出さないのが癖になってしまったところもある。質問されて私の中では答えてるけど口に音として出してないということも結構ある。

頭を凝らして思考する訓練をしていたこともあり内部では思いがぐるぐる回っている、verbose。饒舌、でも何も外に発しない、その基本姿勢みたいなものはこのころからだ。

あまりに「相手の立場に立って考える」ことに心を砕いていたために、あるとき出会った次のフレーズには半笑いだった。可笑しいが、全くその通りなのだ。自分がやっていることは相手のことばかり考えることで、行き着くところはこういうことだ。

「お互いが相手の立場になって考えたら物事は何も変わらないのではないか」

1つの間違いを指摘したい。ある状況の中である人が言った言葉に対しどう応ずるのが最も適切か突き詰めて考えるということの、1つの間違い。

人が話すということは、その状況で最適な言葉を探すゲームではない。人が話すのは、自分の思いを相手に伝えるため。そのはずだ。

伝えること。

 

今日はここまで。