独男の雑記帳

60代コミュ障独身男(結婚歴なし)の存在していた記録

ぼっちと歓喜の歌

12月。12月といえば第九。ベートーベン交響曲第九番、日本では年末に演奏される風習がある。ずっと昔、10代から20代にかけての頃は、クラッシック音楽を聞いたりコンサートに行ったりした。大晦日の夜は紅白を見るのではなく、NHKラジオの第九を聞きながら自分自身を振り返ることを旨としていた数年もあった。今はクラシックからはめっきり遠のいてしまって、第九も聞くことはないが。

大学ではドイツを熱心に勉強した。第九の歌詞もその頃にドイツ語で覚えた。当時、音楽之友社から出ていた楽譜と歌詞の入っているこんな本を買い、今も手元に残っている。写真には写してないがレポート用紙が挟んであって、ドイツ語を書き写し、単語や文法を調べた形跡がある。

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ちなみに私は音楽はわからない。楽器は演奏しないし楽譜も読めない。楽譜入りの本を買ったのは、何となくかっこいいというくらいの理由だろう。まあ、知ってる曲ならば、楽譜を追いながらどのタイミングで単語を発声するか、単に聞いてるだけよりはわかる、ということはあるかもしれない。

今はネットで簡単にドイツ語歌詞や邦訳を参照することができる。Wikiにも記事がある。
歓喜の歌 - Wikipedia

 

 

第九の歌詞で当時からずっと気になっているところがある。

 

とりあえず最初から、ドイツ語と自分の1行意訳を入れて書いていく。(歌詞や訳を紹介しているサイトは多数あるので、きちんと知りたい向きは検索を。)

O Freunde, nicht diese Töne!
Sondern laßt uns angenehmere anstimmen und freudenvollere.

歓びの歌を歌おう

Freude, schöner Götterfunken, Tochter aus Elysium.
Wir betreten feuertrunken, Himmlische dein Heiligtum!

天上の乙女、いざ (意訳にもなってないけど、感覚で)

Deine Zauber binden wieder, was die Mode streng geteilt.
Alle Menschen werden Brüder, wo dein sanfter Flügel weilt.

人類みな兄弟

Wem der große Wurf gelungen Eines Freundes Freund zu sein.
Wer ein holdes Weib errungen, Mische seinen Jubel ein!

親友や愛する妻を得られた者は一緒に歓ぼう

 

と、ここまでいいのだが、次がよくわからない。

Ja, wer auch nur eine Seele sein nennt auf dem Erdenrund!
Und wers nie gekonnt, der stehle Weinend sich aus diesem Bund!

例えば wiki の訳では

そうだ、地上にただ一人だけでも、心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ
そしてそれがどうしてもできなかった者は、この輪から泣く泣く立ち去るがよい

となっている。心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ、それができなかった者、つまり心を分かち合う魂が得られなかった者は仲間の輪から泣いて去るがよい。ぼっちは泣く泣く去れと言っているように聞こえる。

 

手元の音楽之友社の本では当該部分の訳はこうなっている。

歌えよ 一人の友だに持たば
さあらで 淋しき者は 去るべし

「~だに」は最小限の意味を表すらしく、この場合は「たった一人の友さえ持てば」という意味になるようだ (間違っていたら訂正きぼんぬ)。やはりぼっちは去るしかないのか。確かに友人や妻がいることは人生の歓びであろうし、それを持たない者はその仲間に入れないのかもしれない。孤独な者は孤独。そういう歌なのかもしれない。

でもそうなんだろうか。ベートーベン交響曲第九番第4楽章、通称「歓喜の歌」。日本では年末に好んで演奏され合唱される。リア充は歓び、ぼっちは歓喜の輪に加われず泣いて去る、そんなイジメのような悲しい歌が好んで歌われているのだろうか。

 

ずーっと心に引っ掛かっていた。

 

聴力を失い苦悩の人生を歩んだ大作曲家ベートーベンが、孤独で苦悩している人を排除する? そんなことないよね、ね、ベートーベン?  歌詞はシラーの歌詞だから知らーないって?  …しらー…

まあ確かにシラーの詩であるし、一般的なドイツ語の問題であるように思う。ちなみに検索すると、一人でも輪に加わることが出来る解釈もあるようだ。例えばこちらから引用されてもらいます。
ベートーヴェン「第九(歓喜の歌/合唱)」の歌詞と日本語訳

そうだ、地球でたった一人の人間も(喜びの声を一つに混ぜ合わせよう)
そして そうできない人は 出ていけ
泣きながら この結びつきから

念のため、ほっちの方々の中には輪に入って歌うなんてこちらからご免という人も少なくないだろう。それはそれでよい。問題は最初から「泣いて去れ」と拒否されているかどうかということだ。

 

 

今一度この部分を検討してみよう。

Ja, wer auch nur eine Seele sein nennt auf dem Erdenrund!
Und wers nie gekonnt, der stehle Weinend sich aus diesem Bund!

当時私はドイツ語を勉強したと言っても英語の中学レベルに届くかどうかくらいだったし、その後すっかり忘れてまった。今年から再学習を始めたが、まだこの文を理解できるほどではないので、辞書を見たり検索したりして記す。

wer auch = whoever
nur = only
eine Seele = a soul
sein が一瞬わかりにくいが、ここでは所有代名詞「彼のもの」
nennt は nennen (~と呼ぶ) の3人称現在

ということで、ちょうど英語版wikiの英訳が意味の通る逐語訳になっているようだ。
Symphony No. 9 (Beethoven) - Wikipedia

Yes, and anyone who can call one soul his own on this earth!
Any who cannot, let them slink away from this gathering in tears!

前の部分からの文脈で言葉を補って書けば、

Yes, and anyone who can call one soul his own on this earth
(let him join our songs of praise)!
Any who cannot (call one soul his own on this earth),
let them slink away from this gathering in tears!

ということになる。日本語にすれば

この世に1つの魂でも自分のものと呼べるものは、歓喜の歌を歌え!
それが出来ない者は、泣いて去れ!

 

結局のところ、one soul つまり元のドイツ語で eine Seele が他人の魂を指すのか、自分の魂を含めてもよいのか、という問題になる。Eine Seele が他人の魂を指すのであれば、ぼっちは歓喜の輪に加われない。自分の魂でもよいなら、孤独者も仲間に加わって歌うことが出来る。

 

一般にはどう解釈されているのだろうか。人類はみな兄弟と言ってるんだから、やはりここは、たとえ妻や友がいなくても、自分が人としての魂を持っているならば、歓びの輪に加わることが出来る、と解釈したいところだ。つまり、

ぼっちもなかーま
人でなしは逝ってよし

こうではなかろうか。こうであってほしい。孤独者をますます孤独に追いやるのでなく、魂を持って生きている者はみな仲間、共に生きる歓びを歌う歌であってほしい。