おぼしきこと言わぬは腹くくるるわざ、とはよく言ったもので、言いたいことがあったのに口にしないでいると、自分の中に溜まってくる。私の中には口にされなかった何百万もの事柄が佃煮のように詰まっている。
本当に些細な事だけど、佃煮の1つ。
PCといえば私にとってはいつもpersonal computer、つまりパソコン一般を指すものだった。MacをPCと呼ばない人もいて、その場合PCはIBM互換機のことでMacはMacという解釈。80年代の日本では、特にコンピューターに興味がなければ、PCといえばNECのPC98シリーズのことだった。でも私はそれよりはもう少しコンピューターを知っていたつもりだったけどね。
もう25年くらい前、大学時代の知人に会った。私は彼にふと「今PCは何を使ってるの?」と尋ねた。彼はよく出来る奴で、学生時代もプログラムをさくさく書いて研究を進めていた。卒業後数年を経たその当時はいわゆるIBM互換機が日本でも使われ始めた頃で、私はただ単に、彼がそのときどんな種類のコンピューターを使っているか聞いてみたのだった。
ところが、具体的に彼がどう言ったか思い出せないのだが、彼は私がNECの98シリーズの機種を尋ねていると解釈したようで、「いや98ではなくて」と、IBM互換機について丁寧に説明し始めた。
彼から見て私はコンピューターといえば98シリーズしか知らないように見られていたことに、悔しさを感じた。(彼が具体的に何と言って私がそう感じたのかわからないのだが、少なくともその時の私はそう感じた。)
「いや『PC』って98シリーズじゃなくて、personal computerの意味で聞いたんだけど」口元まで出ていたが、黙り癖がついていて誤解されたり低く見られたりしても抗弁しないことも珍しくない私は、何も言わなかった。それに彼のほうがよく出来るのは確かで、どうでもいいところにムキになることを避けたかったのかもしれない。
しかしその場できちんと言っておかなかったことは自分の内にずっと残る。PCという単語を聞くと、彼とのやり取りが思い起こされた。「あの時PCと言ったのはpersonal computerの意味だよ。」最近は薄れてきたが、ずっと私の中で疼いていた。
ところで彼は私と会った3か月くらい後に結婚した。会って話したときに、もうすぐ結婚するという話も聞いていたのだろう、私は結婚祝いとしてウェッジウッドのティーカップセットを彼に送り届けた。
しかし彼からはお礼も何も連絡はなかった。まあ、礼を期待して贈り物するわけではないけれど、迷惑だったのかという思いにとらわれた。その後お互い疎遠になり、今に至る。研究者としての彼の経歴はネットでわかり、大学教授になって10年以上経つ。病弱のところもあっていろいろ苦労もあったろうが、物腰柔らかい彼のことだからきっと学生にも好かれ、優秀な研究者として活躍しているだろう。
さすがだなと思う。そしてこうも思う。でもごめんな、結婚祝いなんか送って。迷惑だった?
こちらも私の心の隅で小さな傷となって疼いていたのだった。
PCと結婚祝いでセットになっている私の佃煮を、やっとここに吐き出すことが出来た。こうして見ると私ってほんとにくだらない奴だと思う。私から結婚祝いなんかもらいたくないのもよくわかる。