独男の雑記帳

60代コミュ障独身男(結婚歴なし)の存在していた記録

oligarch, monarch

【今日の英語】 oligarch, monarch

oligarch は現代ロシア情勢の文脈では「ロシアの新興財閥」を指す (辞書 2)。

もともと oligarch には「寡頭政治における支配者」という意味がある (辞書 1)。oligarchy なら「寡頭政治体制」。寡頭、つまり単独や多数ではなく、少数が支配する政治体制。その単語が、ソ連崩壊後自由経済となったロシア経済を牛耳るいくつかの財閥に対し、使用されている。

なお英語の発音は /ˈɒlɪɡɑːk/、あえてカタカナで書けば「オリガーク」だが、日本語ではロシア語由来の「オリガルヒ」が多く使用されているようだ。
オリガルヒ - Wikipedia

 

oligarch、一見変わった綴りの単語に見えるが、語源を探ると簡単な成り立ちで、他のよく知られている単語と関連することがわかる。

oligarch はギリシア語由来で、 olig- が「数個の」を意味し、-archが「支配する」を意味する (辞書 Origin)

「数個の」という意味のギリシア語の数の接頭詞 olig- または oligo- は、「オリゴ糖」として日本語でもよく知られている。オリゴ糖は単糖が「数個」結合した糖のことだ。

オリゴが出てきたなら、1、2、3に対応するギリシア語の数の接頭詞、mono-、di-、tri- がすぐに連想される。mono- と -arch を組み合わせれば、monarch 君主、その政治体制は monarchy 君主制、よく知られている単語だ。

monarchy は1人による支配体制、oligarchy は数人による支配体制。それでは2人、3人による支配、diarchy、triarchy という単語はあるのだろうか。検索してみると政治学では普通に使われている用語のようで、二頭政治、三頭政治という日本語とともに存在する。ギリシア語の数の接頭詞で「多数の」は poly- だが、polyarchy 多頭政治という語も存在する。

 

というわけで、oligarch という語をぱっと見たときには変わった綴りをした単語にしか見えなかったが、olig + arch で前者が数の接頭詞、後者が「支配」という意味とわかり納得し、その関連で monarch は mono + arch でそれで君主なんだと、monarch の由来が今さらながらわかったいう次第。

 

結婚してる「コミュ障」はオキシモロンか

「私はコミュ障なので」とよく聞く。多くの人が言う。もちろん私たちは万能ではない。初対面の人とすぐに仲良くなり、パーティを盛り上げ、仕事では営業成績を上げ、トラブルが起きれば交渉で解決、などと誰しも簡単に他人と渡り合えるわけではない。どこかで苦手な場面がある。苦手な相手がいる。実際にトラブルを抱えている。そんな状況を意識して「私はコミュ障なので」と言うのはよくわかる。

それは承知しているが、結婚してる人あるいはパートナーが居る人が自身を「コミュ障」と呼ぶのには、私は軽く違和感を覚える。

他人と出会い、つき合い始め、さまざまな経緯を経て一緒に人生を過ごすことに同意を求め、受け入れられる。このコミュニケーションにおける燦然と輝く偉業を達成していながら「コミュ障」はなかろうと。

いやもちろん、そんなに単純じゃなくて、共同生活を始めてからの方がコミュニケーション力はされるのだろうし、苦労も絶えず、うまくいかない自分を「コミュ障」と呼ぶ場合もあろう。

そうではあっても、私のようにその地点 (2人一緒地点) にまで到達できない者からすると、相手が居る人が自身をコミュ障と呼ぶのには、ふと違和感を覚えることが多いのだ。その先の世界を生きたかった、しかし壁は大きかった。それゆえの感覚だろう。そんな独り言をこっそり記録しておく。

 

バイクで転倒したけど声をかけられなかった

バイクで転倒してしまった。いつも乗っている400ccのバイクを車検に出し、代車の原付に乗って帰る途中。車一台通れるかどうかの狭い急な坂道を慣れない原付でそろそろ降りていくと、向こうから自転車を押して登って来る女の人が見えた。少し左に寄せようとしたときに雨で濡れた路面で滑り、右側へ転倒した。

右ひざを道路に擦り、右手、右ひじも軽く打った。バイクは右のバックミラーが曲がった。原付とはいえ初めて乗るときはアクセルやブレーキ、車体の感覚など慣れない。バランスを崩したところに濡れた路面で滑ってしまった。慣れないためにスピードを出していなかったのは幸いだった。

右ひざはズボンが破れ擦りむいている。右手もちょっと痛い。でも普通に動く。体は大丈夫そうだ。そう思いつつよろよろと立ち上がり、バイクを起こし左に寄せた。

するとそれまで私の3メートル先くらいで自転車を手にして立っていた女の人は、自転車を押して私の横を黙って通り過ぎ、さらに坂を登って行った。

 

「あれ?」っと思った。自分の怪我やバイクの心配よりも、違和感に包まれた。目の前で人が転倒したら、「大丈夫ですか」と声をかけないだろうか。「大丈夫ですか?」「大丈夫です、ありがとうございます。」こうなる状況を心のどこかで想定していた。

救護義務を言ってるのではない。そもそも今回の転倒は相手に接触したわけではない。数メートル先の相手を見て少し左に寄ろうとした私の立ちゴケと言ってよく、相手に責任があるわけではない。でも黙って通り過ぎて行かれたときは、違和感というか不思議な感覚に包まれるのを感じざるを得なかった。

 

しかし帰宅してひとしきり落ち着いてから考えてみて、あんなものかなとも思い直した。女の人、暗くて顔はよく見えず、また私も動転していて相手をそんなに注意して見なかったのでよくわからないが、20代半ばの若い女の人だったろうか、あの人は私を無視しようとしたわけではない。無視しようあるいは関わらないようにしようと思えば、私が倒れている間に横をすり抜けて坂を登っていくことは出来た。そうはせず、あの人は私が立ち上がりバイクを起こすまで、自転車を手にしてじっと待っていた。おそらく、私は大丈夫そうだということを確かめて、進んで行ったのだ。もし私が倒れたままだったら、その時は、声をかける、手を貸す、救急車を呼ぶなどの措置を取ったのではないかと思われる。

確かに声かけは難しい。相手にかえって迷惑に思われる場合もあり、それを恐れて声かけしにくい人も多いだろう。また女性の場合、相手が得体の知れない男性であればなおさらだ。ましてや私は60手前の未婚男性、ヘルメットはかぶったままで隠れていたが頭も薄いし、警戒は当たり前かも (突然の自虐ネタ)。

 

そんなこんなで、むやみな声かけはしない、でも相手が大丈夫かどうかを観察し、大丈夫とわかったから立ち去る。あの人は賢明な判断をしたのかもしれない、むしろそう思えてきたのだった。

 

でもまあ私は、コミュ障を自称するとはいえ、目の前で人が転倒して他に誰も世話する人がいなければ、「大丈夫ですか?」と声をかけると思う。コミュ障の私が言うのは全くおかしいのだが、声をかけ合うのは悪いことではない。

 

発達障害?

昨今は発達障害という言葉をよく聞くようになりました。ブログでも〇〇という発達障害ですと名乗って書いている人も少なくありません。自称コミュ障の私も、メンヘル的には発達障害に分類されるのかなと思うこともあります。

まずは私にとっての答えをひとことで書いておきます。

どうでもいい。私は私。知ったこっちゃない。

まったくの無知による言葉か、あるいは悟りを得た卓越者による言葉かと思わされます。でもまあ、何十年もの苦しみ、孤独、レッテル貼り、変だと思われてるという思い、そんな過程を経て私が思うことです。実は10代後半のころに精神病の本をあれこれ読み、おそらく自分は病気ではなかったと思いますが、病気かも、異常かもとひどく気にして、自分や人生の認識が歪んでしまったという経験を踏まえてのことでもあります。

「分類」は気にしないということで、自分はどういう場面にどのようにうまく応答できないなど、具体的な症状は自分なりに分析しています。だけどそれがどんな基準でどのカテゴリーに分類されるかは、どうでもいい、気にしたことではないということです。

もっとも、気にしないということは、結局それほど困難には直面していないということかもしれません。友人がほとんどおらず苦しみを抱えつつも、いちおう会社勤めは出来ています。今まで精神科医やカウンセラーと話してきて、発達障害に分類されたことはなかったです。最近カウンセラーに軽く「私は発達障害ですかね」みたいに改めて聞いたことがありましたが、違うだろうという答えでした。なので専門的には発達障害という分類ではないのでしょう。専門的にはというのはつまり、あいさつもろくに出来ない私のことですから、陰で「あいつはおかしい」と言われていることはあり得るということです。

コミュ障は自認します。コミュ障ってネット上で使われる言葉で精神医学の正式な用語ではないですよね。発達障害は精神医学上の分類ですがあまり勉強しておらず、ただあまり気にしてもいないという話です。

ということなんですが、ちょっと乱暴な書き方だった気もするので、予防線も兼ねて2点付記しておきます。1つ目は、今は発達障害についてそれほど知識もない状態で分類を気にしないと言ってますが、今後勉強して認識が変わるかもしれないし、その可能性は高いです。そもそも、自分がそれに属するかどうかに関係なく、無知であるよりは正しい知識を持っているほうがいいに決まっています。ただ生半可な知識だと分類でかえって先入観を持つなど悪影響もなきにしもあらずで注意したいです。2つ目は、これはあくまで私自身のことであるということです。現在苦しんでいる人たちにとっては、きちんと診断してもらい障害なら障害と認めてもらうのは大切なことで、そうすることで本人も周囲も何がどう問題なのか認識し、どうしたらいいのか対処方法が見えてくるものです。それはちゃんと述べておきます。

 

コミュ障記事の方向

コミュ障記事をときどき書く。ああ言えばよかったこと、ああすればよかったこと、自分の内に溜まりに溜まっていること。

1つ1つの記事は暗く行き場がない。しかし単に吐き出したいだけの他に、自分の中ではある方向性を意識している。

まず今のコミュ障状態を記すことは、自分を語り自分をわかってもらいたいこと。更に、そんなコミュ障で頑張っていることを示していきたい。他人に示すだけでなく、記事が自分への支えと励ましにもなる。そしていつか問題を克服し別の人間になったときに、軌跡が示されることになる。そんな方向性を見ている。

というわけで、どうしようもない記事を書いていく。

 

ところで今、全く意識せずにダジャレみたいなことを書いた。

いつか克服し別の人間になったときに、軌跡が示される

別の人間になったら、まず「奇跡」だよね。「奇跡」が示される。そして記事を書き続けていたらそこには、「軌跡」が示される。こういうのは何というのかな、ダジャレというわけではないしダブル・ミーニングというのも違うし。わからん。

 

なお「別の人間になったら」は本当に別の人間になるんじゃない。今のままちょっと改善すればいい。でもそうなったら今とは別の人間、そんな意味だ。もう年も年だし、今から頑張って本当に別の人間になるとしたら、それはもう鬼籍に入るときじゃないか。。。

おあとがよろしく…ない。わけわからない。

 

小学生時代のコミュ障の思い出

コミュ障の思い出などというタイトルをつけてしまったが、小学生時代に「ぼっち」で苦しんだとか、言いたいことが伝えられず困ったとかいう話ではない。今の自分のコミュ障ぶりに思いを馳せるとき、よく思い出される小学校時代の3つのエピソードがあり、それを記録しておきたい。

 

(1) 放課後の教室で1人の女の子が泣いていた。小学4年生の時、教室には5、6人が残っていた。その子がなぜ泣いていたのか、その時も事情はわからなかった。そばにいた女の子が私に向かって「(私)くんは学級委員なんだから、慰めてやりなさいよ。」と言った。それを聞いた私は、ああ、俺ってこういうの苦手なんだなあ、何て言っていいかわかんないよ、と思った。

泣いている子に結局何と言ったのか、その後どうなった、覚えていない。おそらく適当なありきたりなことを言っただけだったはずだ。そんなことしか言えないから。

小学生では人の世話を上手に出来ないかもしれない。それでも他の子と比べて私は、人を世話したり慰めたり元気づけたり一緒に楽しんだり、そういうことがうまく出来ないという意識はあった。そのため「慰めてあげなさいよ」と言われた時、苦手だなあと痛切に思った、そのことをよく覚えている。今も人を目の前にして声をかけるのが苦手だが、そんなときいつも思い出される光景なのだ。

 

(2) 小学校2年生のときに担任の先生が通信簿に書いたコメント。「いろいろ知識があって、話すこともなかなか論理的。でももうちょっと楽しくお話ができたらなあと思います。」担任のH先生は私の本質を把握されていた。

この性質は今も変わらない。もうちょっと楽しくお話ができたらなあ。もうちょっと楽しいブログ記事が書けたらなあ。

 

(3) 近所の人とのお話を終えた母親に私は聞いた。「どうしていつも天気の話をしているの?」

大人はスモールトークを楽しみ、場の雰囲気を和ませ会話をふくらませて相手との親しさを深める。子供はスモールトークをしない。とはいえ、大人の事情もわからずこんなストレートな質問をした私は、今もスモールトークが出来ない。つまり大人になれなかった。

 

3つのエピソード。相手を思いやる言葉をかけてあげることが出来ず、面白い話もスモールトークも出来ない。今の自分の会話下手の原型は小学生のときにすでにあったと、よく思い起こされるエピソードなのだ。

 

PCはパソコン

おぼしきこと言わぬは腹くくるるわざ、とはよく言ったもので、言いたいことがあったのに口にしないでいると、自分の中に溜まってくる。私の中には口にされなかった何百万もの事柄が佃煮のように詰まっている。

 

本当に些細な事だけど、佃煮の1つ。

PCといえば私にとってはいつもpersonal computer、つまりパソコン一般を指すものだった。MacをPCと呼ばない人もいて、その場合PCはIBM互換機のことでMacMacという解釈。80年代の日本では、特にコンピューターに興味がなければ、PCといえばNECのPC98シリーズのことだった。でも私はそれよりはもう少しコンピューターを知っていたつもりだったけどね。

もう25年くらい前、大学時代の知人に会った。私は彼にふと「今PCは何を使ってるの?」と尋ねた。彼はよく出来る奴で、学生時代もプログラムをさくさく書いて研究を進めていた。卒業後数年を経たその当時はいわゆるIBM互換機が日本でも使われ始めた頃で、私はただ単に、彼がそのときどんな種類のコンピューターを使っているか聞いてみたのだった。

ところが、具体的に彼がどう言ったか思い出せないのだが、彼は私がNECの98シリーズの機種を尋ねていると解釈したようで、「いや98ではなくて」と、IBM互換機について丁寧に説明し始めた。

彼から見て私はコンピューターといえば98シリーズしか知らないように見られていたことに、悔しさを感じた。(彼が具体的に何と言って私がそう感じたのかわからないのだが、少なくともその時の私はそう感じた。)

「いや『PC』って98シリーズじゃなくて、personal computerの意味で聞いたんだけど」口元まで出ていたが、黙り癖がついていて誤解されたり低く見られたりしても抗弁しないことも珍しくない私は、何も言わなかった。それに彼のほうがよく出来るのは確かで、どうでもいいところにムキになることを避けたかったのかもしれない。

しかしその場できちんと言っておかなかったことは自分の内にずっと残る。PCという単語を聞くと、彼とのやり取りが思い起こされた。「あの時PCと言ったのはpersonal computerの意味だよ。」最近は薄れてきたが、ずっと私の中で疼いていた。

 

ところで彼は私と会った3か月くらい後に結婚した。会って話したときに、もうすぐ結婚するという話も聞いていたのだろう、私は結婚祝いとしてウェッジウッドティーカップセットを彼に送り届けた。

しかし彼からはお礼も何も連絡はなかった。まあ、礼を期待して贈り物するわけではないけれど、迷惑だったのかという思いにとらわれた。その後お互い疎遠になり、今に至る。研究者としての彼の経歴はネットでわかり、大学教授になって10年以上経つ。病弱のところもあっていろいろ苦労もあったろうが、物腰柔らかい彼のことだからきっと学生にも好かれ、優秀な研究者として活躍しているだろう。

さすがだなと思う。そしてこうも思う。でもごめんな、結婚祝いなんか送って。迷惑だった?

こちらも私の心の隅で小さな傷となって疼いていたのだった。

 

PCと結婚祝いでセットになっている私の佃煮を、やっとここに吐き出すことが出来た。こうして見ると私ってほんとにくだらない奴だと思う。私から結婚祝いなんかもらいたくないのもよくわかる。