独男の雑記帳

60代コミュ障独身男(結婚歴なし)の存在していた記録

結婚してる「コミュ障」はオキシモロンか

「私はコミュ障なので」とよく聞く。多くの人が言う。もちろん私たちは万能ではない。初対面の人とすぐに仲良くなり、パーティを盛り上げ、仕事では営業成績を上げ、トラブルが起きれば交渉で解決、などと誰しも簡単に他人と渡り合えるわけではない。どこかで苦手な場面がある。苦手な相手がいる。実際にトラブルを抱えている。そんな状況を意識して「私はコミュ障なので」と言うのはよくわかる。

それは承知しているが、結婚してる人あるいはパートナーが居る人が自身を「コミュ障」と呼ぶのには、私は軽く違和感を覚える。

他人と出会い、つき合い始め、さまざまな経緯を経て一緒に人生を過ごすことに同意を求め、受け入れられる。このコミュニケーションにおける燦然と輝く偉業を達成していながら「コミュ障」はなかろうと。

いやもちろん、そんなに単純じゃなくて、共同生活を始めてからの方がコミュニケーション力はされるのだろうし、苦労も絶えず、うまくいかない自分を「コミュ障」と呼ぶ場合もあろう。

そうではあっても、私のようにその地点 (2人一緒地点) にまで到達できない者からすると、相手が居る人が自身をコミュ障と呼ぶのには、ふと違和感を覚えることが多いのだ。その先の世界を生きたかった、しかし壁は大きかった。それゆえの感覚だろう。そんな独り言をこっそり記録しておく。