独男の雑記帳

60代コミュ障独身男(結婚歴なし)の存在していた記録

第212回TOEIC 2016年7月24日

212回 TOEIC 2016年7月24日
会場: 横浜中央看護専門学校 (神奈川新町)

新形式も3度目なら 少しは上手に
TOEICの正解を 選びたい~♪ (à la 明菜)

というおっさんネタで始めてみましたが、なかなかうまくはいきません…

1. 概要

今回はLがすごく難しく、Rは比較的簡単でした。Lが難しかったのは、会場の音響のせいもあったと思います。5月からの新形式の私の感触は

  L R
5月 (210回) 普通
6月 (211回) 普通
7月 (212回) 超難 易~普通

こんな感じです。

2. 会場

今回の会場の看護学校は2回目、前回は今年3月でした。交通至便なのがとてもいいです。ただし上履き必要。前回は男性のみだったので今回も覚悟して行きましたが、今回は男女混合、むしろ女性の割合がいつもより多いように感じました。前回男性のみだったのはトイレの事情かと思いましたが、何だったのでしょう。確かに女性トイレを男性用にしても小便器の数は増えないから、男性トイレの混雑を緩和することにはならないでしょうし。。

今回の部屋は前回と同じ「講堂」、大部屋です。3月はここで990を取りました。だから大丈夫と思ってました。新設校のためでしょう、この大部屋はスピーカーが天井に装備されているようで、後ろの方でも音がよく聞こえます。

しかし今回この音響施設が問題だったと思います。3月ここで受験したときにも、自分で書いていました。

ただ少し響きすぎて明瞭さに欠けるところはあったが、

第208回TOEIC 2016年3月13日 - hidsgo’s diary

前も同じ事を感じてたわけです。音量は問題ないですが、響いて細かい音が聞こえないことがある。歯切れが悪い、あと1歩聞こえない、ずっとそんなもどかしさがありました。

3月はそれでも990つまりLも495を取れたのですが、今回問題が難しくなって、音が明瞭に聞こえないことが影響したようです。

3. 試験

Part 1 やや難、Part 2 やや難、Part 3 超難、Part 4
Part 5 易、Part 6 並、Part 7 (SP) 並、Part 7 (MP)

Part 1、何言ってるか聞こえない問題が1問ありました。Part 2もそうですね。全体に前よりも話す速度が速くなってる気がするのは、気のせいでしょうか。聞き取りにくいもどかしさもあったのですが、速度も速く、結果Part 3はすごく難しくて全くわからない問題もありました。

今回 Part 5の易しさが目立ちました。Part 6,7は普通かやや易しめ、真剣に迷う問題がなかったです。最後3分余りましたが、いつもなら曖昧だった問題に印しをつけておいて見直すんですが、今日は印しをつけた問題がありませんでした。まあそれでも思い込みやミスで減点されるんですが。

4. 予想スコア

L 485 R 485 T970

こんな感じでしょうか。なかなか990は難しそうです。

 

第211回 TOEIC (2016年6月) 結果 ~ 3問塗り絵でR480

6月のTOEICの結果が出た。当日記事はこちら

第211回 TOEIC 2016年6月26日 - hidsgo’s diary

 

何しろ、20年以上ぶりに(受験してなかった期間含む)塗り絵となりショックを受けた回で、結果を見るのも怖々だった。

昨日月曜日は祝日だったので、今日の正午が結果発表。さて、、、

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L 495 R 480 T 975

 

いやあ、3問塗り絵したにもかかわらず、Rは480あってくれた。ちょっと驚いた。塗り絵したということは、すぐ答えが見つからなかったり迷わされたり、難しかったわけで、また時間がなくなり塗り絵しそうということで、焦りまくっていて、ミスを含め間違いは多いと思っていた。

もっとも当日記事に書いたように、大崩れはしていない感じはあった。3問塗り絵でも1問は当たっていたかもしれない。その他の間違いも幸いに最小限で済んだのかもしれない。

それとも、前回Rは難しかったと思うので全体の素点も下がり、スコア調整でスコアが上がったのだろうか。

過去にはアビメで6問間違いでR480の時があり (アビメのRは重複カウントがあるから実際に6問間違ったのかどうかはわからないが)、3問塗り絵でも、うまくいけば480はあるのかもしれない。

My TOEICスコアと誤答数 - hidsgo’s diary

 

Lについては、これで3,4,5,6月と4回連続で495。

TOEIC歴 - hidsgo’s diary

Lはすべて完全に聞き取れているわけではないので連続495は変な感じだが、やっとTOEIC慣れしたのだろうか。続いてほしい。

 

塗り絵してもR480で、スコア的にはなんとか持ちこたえた形となった。スコアがコケていたら、ガックリするところだった。内容は散々だったが、それを咎められず、次頑張れと言われたような感じ。

次の日曜日、頑張ろうという気になった。

 

低く見られるという話

私はあまり話しをしないし表現も乏しいしコミュ障だし、という話を折に触れて書いてきている。

持っているものよりも表現しているものが乏しいということに関しては、1年くらい前にこちらの記事に書いたTOEICのLRSWチャートが象徴的。Sだけ極端に低い。

TOEIC LRSW (SWLR) - hidsgo’s diary

 

現在のチャートも、TOEICTOEIC SWも点数に大きな変動はないため、ほとんど変わりない。(TOEICは2016年5月が最新、TOEIC SWはしばらくご無沙汰で2015年11月が最新。)

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以前の記事でも書いたが、このチャートが私らしさを表している。

人が他人を見るときは、英語力もそうだが、大抵まず何を話すかにより判断する。話が下手だと低く見られる。話さないと、話題の事柄について知らないと思わ れる。話さないと、相手に思いは伝わらない。英語についても、Sが3/4点の出来ならば、英語力全般について3/4点と思われてしまうのが常である。

つまり話す力を基にすると下図の赤線のように見られるわけだ。ちなみに現在TOEIC SWのSは140、200満点中の7割なので、495満点では345~350点、990点満点では690~695点に相当する。

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もちろんこれは英語のテストの話で、外国語学習でスピーキングのスコアが低くなるのは珍しくないだろう。

しかしここでは話を日本語を含めたコミュニケーションスキル全般に拡張している。このチャートが、自分を表現しない、もしくは表現が乏しいor的確ではないため誤解を招いたり、低く見られるということが往々にしてある私を、とてもよく表していると思うからだ。

 

以前の記事と重複する内容が長くなってしまったが、スピーキングがまずい、あるいは表現が乏しくて(意図的に表現していないにせよ、そうする能力がないにせよ)低く見られることについて、いつも思い出されることがある。

 

はるか昔、20歳を少し越えた頃、とある英会話学校に通った。当時のほとんどの英会話学校がそうだったように、レベルによってクラスに分かれ、決まった時間に担当の講師から週1回ないし2回の授業を受けるタイプの学校だった。

クラスは上から

上級2、上級1、中級2、中級1、初級2、初級1

と分かれていたと思う。

半年の授業に出席して、成績が特に悪くなければ、次は1つ上のクラスに進むというシステムだった。

私はここで飛び級をした。最初は「中級2」のクラスに割り当てられたが、コースが半分くらい進んだところで講師から、1つ上のクラスに移るように言われ、「上級1」に移った。あるいはもしかしたら、こうだったかもしれない。最初「中級1」に割り当てられて、半年後本来なら「中級2」に進むところを、「上級1」に進んでいいと言われた。

いや実は2つ飛んだように覚えていて、もしかしたら「中級1」に割り当てられて、途中で「上級1」に移ったのかもしれない (*)。

要するに上のクラスに飛んでいいと言われたということで、コースの途中で飛んだのか半年後に飛んだのか、1つ飛んだか2つ飛んだか、今は記憶が定かでないが、ここでは重要ではない。

重要なのは、最初のクラス分けで下のクラスに割り当てられたということ。クラス分けは、受講申し込み後にネイティブ講師と簡単な面談をして決めたのだと思う。つまり面接で、実際よりも低く評価されたということ。

その後上のクラスに飛んでいいと言われ、つまり面接では低く見られていたわけだが、当時既に自分でも、これは自分にはよくあることと認識していた。そしてその後折に触れて、このときのクラス分けが、自分は低く見られるということについての象徴的な出来事として、思い出されるのだった。

この事例は他にも示唆に富んでると思っていて、例えば短時間面接はうまくいかないからデートもうまくいかないだろうとか、低いクラスに割り当てあてられても自分は不満を表明せず黙々と過ごしてしまうんだなとか、いろいろあるのだが、分析は今後にする。

今後の引用のため、ここに記録しておく。

 

* 飛んだ先が上級1なのは確かで、それはその後上級1,2のクラスを一緒に過ごした1人の女子大生に身を焦がす恋をしたからだが、身を焦がしただけで実りがなかったという話はいつかまた別の機会に。

 

NHK囲碁トーナメント 2016年7年17日 ~ 地震速報

第64回NHK囲碁トーナメント

1回戦第16局 趙善津 九段 vs 芝野虎丸 二段

芝野虎丸 二段は初出場の16歳。しかしその強さは棋界ではよく知られ (ているらしい)、解説の王銘琬 九段も絶賛していた。なんでも昨年は39勝9敗で、勝率第1位賞を受賞したようだ。勝率8割以上!

芝野 虎丸 | 棋士 | 囲碁の日本棋院

お兄さんもかつて院生で、小学生のときから兄弟で活躍していた。お兄さんは昨年は高校生でアマ本因坊になった。

芝野龍之介さんが最年少アマ本因坊に!【第61回全日本アマチュア本因坊決定戦全国大会】 | 囲碁大会・イベント | 囲碁の日本棋院

昨日の対局は、めまぐるしい競り合いとなり、しかし芝野二段が2目半しっかり勝ちきった。

 

この対局は1回戦の中の注目カードの1つではあったが、ここで取り上げたのは、囲碁とは関係のないハプニングのため。

昨日の放送中、関東地方に地震があった。震源は茨城で震度4、私が居た横浜では震度2~3だった。NHKである。テロップが出る。

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ちょうど右上隅と上辺が焦点になっているときだった。テロップで石が見えない。。

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大盤に石を置いて解説、でも見えない。。右下のワイプ、実際の対局中の盤を上から写しているものだが、こちらを参考にするのか。。

テロップが出るのは初めてではない。日曜の午後零時半から2時までの番組、その間に地震やら事件やら起こることはあるわけで。短時間だし、やむを得ないか。盤上のすぐに影響のないところを選んでテロップ出してくれというのは無理すぎるし。L字画面はもっと大きい災害のときか。

ちょっとしたハプニング。私もブログネタが出来たくらいに思って見てただけではある。

 

この対局、実は地震より吃驚したことがあった。

趙善津 九段、秒読みに入って石を置こうとしたとき、石を落としてしまった。盤の手前で右手から黒石がすべり落ちた。あわてて左手で石をつかんで、カウント9と同時に盤に置いた。

見ててどきっとした。自分が対戦してるわけではないのに、驚く。ぎりぎりですごく危なかったなあと思った。しかし、本人はちょっと慌てた様子だったが、対戦相手は表情は変えず、聞き手と解説者も無事に石が置かれたのを見て「はい」と受けて、何事もなく解説に移っていった。石を落とすことは時々あるし、ぎりぎりで間に合うことも、珍しくはないのだろう。

梅雨明けはまだだが、蒸し暑い3連休の中日の午後はこうして淡々と過ぎていった。。

 

ということで、久しぶりの囲碁トーナメント記事。

 

ヨーロッパ便でトイレに行かなかった思い出

前記事の空港の記事の中でこんなことを書いた。

 私は人に話しかけるときは自分が話しかけることが相手の迷惑にならないか百万回くらい逡巡しますから、

ヒースロー空港の思い出 ~ WAY OUT - hidsgo’s diary

なかなか自分をよく表していると実は思っている。

同じ流れで、つまり空港・飛行機関連のコミュ障みたいなネタということで、飛行機でのある思い出を記しておく。ヨーロッパで飛行機に乗ってから日本に着くまでの12時間、トイレに行かなかったという話。

 

やはりいつのことか正確に覚えていないが、10年くらい前、この時はパリのシャルル・ドゴール空港から成田への便だったと思う。私は3人掛け席の窓側席で、通路側と真ん中は20代後半くらいの日本人女性の2人連れだった。窓側席の人がトイレに行くには、2人に声をかけ通路を空けてもらわないといけない。私は隣の女性に声をかけることなく、ヨーロッパから東京までの12時間、トイレに一度も行かなかった。

これがコミュ障だから人に声をかけられずトイレを我慢していた、という話なら、立派なコミュ障ネタだろうが、実際は必ずしもそういうわけではない。

まず、我慢していたわけではない。トイレに行く必要に迫られなかったから行かなかったわけだ。しかし、もし私が通路側だったら、どこかで一度トイレに立っただろうと思う。その時もそう思っていた。軽い尿意を感ずることはあったろうし、また座席に長い間座り続けているのは足も疲れる。立って歩くのは足の負担を軽くし(エコノミー症候群予防)気分転換にもなる。

隣の人に声が掛けられなかったわけでもない。普段でも私はほとんど人と話をしない。しかし人に話しかけることが全然できないとか、全くの引き篭もりというわけではない。プレゼンなど、実は人前で話すことも平気だったりするし、嫌いじゃなかったりさえする。

そうは言っても、人に声をかけるのには私にはエネルギーが要ることだった。トイレの必要に迫られることのない状況で、敢えて隣の人にちょっと「すみません」と声をかけるというエネルギー・バリア(障壁)を越えるよりは、席に留まって12時間過ごす方が楽に感じられたとうわけだ。

乗り物に12時間トイレなしというのは、別に珍しいことではないかもしれない。でも自分はヨーロッパ便でトイレに一度も行かなかったのはこの時だけだった思う。以下のことと共によく覚えている。

 

この件で一番印象に残っているのは、実は隣にいた女性のコミュ力(コミュか、じゃなくて、コミュりょく)だった。コミュ力とか大袈裟に言うほどでもないかもしれないが。

窓側席に、トイレに立たずに何時間も静かにじっとしている人がいるわけで、普通気になる。出発して何時間か経った頃、私はうつむき加減で雑誌か何か見ていた時だったろう、隣の女性が私の顔の前に自分の顔を差し出して、私に言った。「トイレに行きたかったら遠慮なく声をかけてくださいね。」私の横から言ったのでなく、うつむき加減の私の顔の下に自分の顔を差し入れて、言ってみれば強引に視線を合わせて、私の目を見上げてそう言ったのだった。それがとても印象に残っている。普段煙たがられ疎んじられて、他人からは嫌われていると自然に思っていた自分にとって、あんなふうに話しかける人がいるということが新鮮だった。そうやって言われたことが、ちょっと嬉しくもあったと思う。

これに先立ち、搭乗時のことだが、この女性の席に最初に外人男性が身を落ち着けた。しばらくして女性2人がやってきたが、その女性が外人男性と話し、結局男性がチケットを見間違えていたことが判明、男性は移動した。うまい英語というわけではなかったが、男性も女性もニコニコ話し、最後に男性が移動するときは女性は笑いながら「バイバイ」と見送った。うまくコミュニケーションが取れていて、その様子を見ながら、「英語力」と「コミュ力」は全く別物だと、いつも思うことをそのときも思ったのだった。

 

というわけで、私はトイレに立つことも誰かと話すこともなかったというコミュ障っぽい振る舞いをしながら12時間かけてヨーロッパから日本へ移動したが、その横にはちゃんとコミュニケーションが取れる人がいたという話。

 

さて、トイレに立つのに隣の人に声をかけることが出来るから本当のコミュ障じゃなくて「コミュ障みたいな」と書いてきたのだが、では隣の人と軽く会話が出来るのかというと、それは出来ないだろう。「ご旅行ですか?」「どちらへ?」などと声をかけることはしないだろう。その人は、変な人から声をかけられたため席を移動するかもしれない、と思うから。だからやはりコミュ障だし、独身なわけだし、大人になれず一生を終えるだろう…そうなのか?

 

ヒースロー空港の思い出 ~ WAY OUT

Brexit が話題のイギリスです。Brexit は Britain+ exit の造語ですね。Exit はこの場合「脱退」や「離脱」という意味です。改めて言うまでもないですが、exit には「出口」の意味もあります。日本では出口に「EXIT」と表記されているのをよく見かけます。一方イギリスでは、「出口」の意味で way out がよく使われています。建物の出口に「WAY OUT」と表記されていることが多いです。

 

Exit、出口、way out。これらの言葉を思い浮かべるとき、私はヒースロー空港での小さな経験を思い出します。10年以上前、正確にいつだったか覚えてないですが、私はヒースロー空港に到着しました。荷物受取場 (baggage reclaim) のベルトコンベアー (カルーセル carousel) から荷物を受け取ったところで、日本人の中年の女性に尋ねられました。「出口はどちらですか?」私はヒースロー空港は何回か利用して知っていたので、「あちらです」と教えました。見回すと、あまり大きくない表示で「WAY OUT」という標識があったと思います。

女性が出口の標識が見つけられなくて私に尋ねたのか、「WAY OUT」は見えたけれどそれが出口だと自信が持てなかったのか、そもそも「EXIT」とは書いてなかったのか、はっきりわかりません。私の中ではその女性が「ああやっぱり WAY OUT は出口なんですね」というようなことを言った記憶があるのですが、自分の頭の中の脚色かもしれません。

とても些細な出来事ですが、自分の中でいろいろ勝手に意味づけされて、今も記憶されている出来事です。このような意味づけです。

 

1. 上記のようにイギリスでは出口は「WAY OUT」。「EXIT」ではなくて「WAY OUT」とだけ表記してあると初めてのとき戸惑います。

2. ヒースロー空港はわかりにくい。ヒースロー空港はやたらでかく、また拡張を重ねたためでしょう、複雑でわかりにくかったです。今はどうか知りません。ちなみに上記の出来事はまだ Terminal 5 が出来るよりもずっと前です。空港内を表示に従って歩いてると、用具の置いてある薄暗い通路に入り込んで、乗客用通路から外れてしまったのかと思っていると、それが正しい通路だったということもありました (慣れてない頃の個人の感想です)。もっとも、カルーセルが並ぶ荷物受取場から出口がどっちにあるかは巨大空港はどこでもわかりにくいものですが、ヒースローはわかりにくいと頭にあると、出口がわかりにくいのはヒースローだからと思ってしまいます。

3. イギリスは面倒臭い。でかでかとわかりやすく「WAY OUT」と表記、そしてイギリス英語に慣れてない人向きに「EXIT」も併記。もしそうだったら、なんかイギリスじゃないみたいです。イギリスでは必ずしも物事はスムーズには進まず、面倒なことが多い。そんな思いが背景にあると、出口がわかりにくいという些細な経験が、イギリスの1つのあるあるネタのように記憶されてしまいます。

4. あの女性はコミュ障じゃない。空港とかイギリスとかとは別の話ですが、このエピソードを思い出すとき、こう思います。あの女性は荷物を受け取って進む方向がすぐにはわからなかったから、たまたま近くにいて迷ってはなさそうな私にちょっと聞いたのだと思います。それだけの事なんですが、私は人に話しかけるときは自分が話しかけることが相手の迷惑にならないか百万回くらい逡巡しますから、自分が迷った状況で近くにいた私にさらっと聞いたあの人は、普通にコミュニケーション取れる人なんだろうなと思うのです。

 

ちょっと道を尋ねられただけでこれだけぐちゃぐちゃ意味づけする、面倒な人ですね私は。

ヒースロー空港の思い出というタイトルはちょっと違うでしょうか。Way out の思い出でしょうか。要は、way out ってちょっと戸惑うよね、ヒースローってわかりにくいね、というネタを書きたかったということです。

空港の思い出というと、出会いと別れとか人は思い浮かべるのでしょうか。私は友達がいないからそういうのはないですね。乗り遅れそうになったとき空港職員と一緒に走ったとか、荷物が届かなかったとか。そういう空港の思い出はまた別の機会に記録しておきます。

あと1つ。ヒースロー空港はロンドン市内とのアクセスが面倒ですし (ヒースロー・エクスプレスが出来る前は特に)、でかいから空港内の移動も時間がかかるため、ロンドンに住んでヨーロッパへ飛び立つ人はヒースローではなく別の空港を利用することが多いでしょう。私は専ら Stansted (スタンステッド) 空港でした。これもまた別の機会に。